ここが生産者直売所のモデルだ
経済環境が厳しくなるといつものように農業見直しが始まる。
さらに最近では生産者直売所も増加してきた。個人の直売所もいれると全国に2万箇所、販売額2兆円と試算するむきもあるくらいだ。さてその生産者直売所のお手本となるのが鎌倉にある生産者直売所だ。
鶴岡八幡宮へ通じる若宮大路に面した鎌倉市農協連野菜即売所(生産者直売所)は、昭和3年(1928年)に始まったとされていてすでに80年余の歴史を刻んでいる。
大正12年中央卸売市場法が公布され、日本で最初の中央卸売市場が京都に開場したのが昭和2年であるから、ほぼ時を同じくしている。
1926年、昭和の時代を迎えたが翌年には金融恐慌に見舞われ、1929年は世界的大恐慌へと突入していった時代だ。農産物の価格は暴落した。
中小企業は倒産が続き失業者は街に溢れた。
そのころ鎌倉郡豊田村の秋本治平さんを中心に深沢村など近くの三つの村の農家約30人が窮状の一策として考え出したのが、作ることばかりではなく売ることも自分たちの手でやろうということであった。
そして朝市を開いたのが歴史の始まりである。その後、戦争中は一時休止されたが自分たちで生産し、自分たちで販売するという活動は昭和24年に再開された。
出展者は4班に分かれていて総勢23名。店内の場所は時計回りに移動します。
生産者が直接出店するもので、販売担当者が分かれているものではありません。
それぞれ生産者にファンが付いているようです。消費者とのコミニュケーションのなかで、いろいろと要望もありそれが生産に生かされてもいるようです。
まさに生産者直売所の原点でもあります。
ところで日本人旅 行者の多いロサンゼルスの郊外に、ファーマーズ・マーケットがある。
いまでは観光地化しているが1929年の世界恐慌のさなか、アメリカ西部の農民たちも不況に喘ぎ苦しい生活を余儀なくされたのである。
スタインベックが聖書を下敷きにして書いたといわれる「怒りの葡萄」、「エデンの東」を読んでいただければご理解いただけると思う。
どんずまりで人間の生きていく力には、いずこでも凄まじいものがある。
アメリカのファーマーズ・マーケットはこの鎌倉の生産者直売所に遅れること6年、つまり1934年に死に物狂いの生活をしていた18名の生産者が自分たちの作った農産物を戸板に並べて販売したのが皮切りとされる。
青果物だけでなく、肉、魚(燻製もの)衣類なども売られた。いまでは観光コースの一つになっていて往時の面影はない。
ともあれ生産者の直売所は小売商法の原点でもある。
さて鎌倉野菜は京の伝統野菜ほど整理されていないが、この生産者の直売所もまだ力のあるうちに、行政的にも保存していくことを考えておく必要があろう。
なにせ文化人が多く住む鎌倉のことだ。
もっと智恵を結集して伝統の灯を消してはならない。
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