(写真:豊後高田市観光協会提供)
大分・豊後高田市で20名の仲間とともに村おこしグループ「はちはちのにわ」を立ち上げ、その事務局をしているのが蔵本学さん。さらにフェイスブック「豊後国 田染荘 荘園の里小崎 ほたるの館」を運営し村おこし情報を発信しています。広島出身の蔵本さんは豊後国で山里暮らしを楽しんでいるようです。私もそこに魅せられたひとりです。
幸い天候にも恵まれ、過去最高の約500名の方にお越しいただき大盛況となりました。
地元女性部の用意した毎年好評の昼食は12時前には大半が売り切れとなるなど、今年も大人気でした。
いました。
お腹一杯になった後は、昔ながらの手刈りによる稲刈りを体験していただきました。
収穫された荘園米は、来月初旬に予定されている献穀祭で宇佐神宮に奉納されます。
収穫後に行われた新企画「お楽しみ抽選券付き餅まき」では、荘園米、マコモダケ、シイタケ、カボスなどの特産品を手に入れようと、参加者のみなさんの熱気で盛り上がりました!
ふかしイモのこびりも「おいしい」とたくさんの方に喜ばれていました!
参加された皆様、どうもありがとうございました。準備にあたられたスタッフ・行政の皆様、お疲れ様でした。
— 場所: 田染荘収穫祭&第3回荘園マルシェ
田染荘園とは・・・(豊後高田市観光協会の説明)
今を去ること千数百年の昔、国東半島には、六つの郷がおかれていました。 田染荘小崎地区(当時は小崎という地名も定かでない)は、一面鬱蒼たる原野で、山々より集めた水を蓄え、小崎川がゆっくりと流れていました。
当時は、律令制度の中で田染郷の平坦部は公地公民として農耕が行われていましたが、743年墾田永年私財法の成立によって、開墾した水田の私有が認められるようになって以来、この地を豊かな水田地帯にしようと雨引神社周辺(赤迫)より、幾多の人々や宇佐神宮の力によって、この土地の地形を利用して様々な曲線を描きながら不揃いな形をした水田が開発されていきました。
やがて開墾された水田は、宇佐八幡宮が支配する(中央に領主がいる一般の荘園とはやや異なった)荘園となり、ここに田染荘が誕生しました。 田染荘は、宇佐八幡宮の「本御荘十八箇所」と呼ばれる根本荘園の一つで、最も重要視された荘園でした。
その後、田染荘は時代の流れとともに大きく移り変わっていきますが、ここ小崎地区だけは、水田や周囲の景観を昔のままの姿で守り、受け継いできました。
荘園の里では、このすばらしい遺産を後世に残すことを決定し、新しい歴史の1ページを開こうとしています。人と自然と歴史が融合するこの荘園の里は、田園空間博物館として人々に「やすらぎ」と「いやし」を与え、都市と農村を結ぶ架け橋となるでしょう。
○荘園領主制度
荘園の里では中世から引き継がれる景観を都市の皆さんと共有するため、毎年荘園領主(水田オーナー)を募集しています。領主には御田植祭や収穫祭などのイベントの参加や農作物の宅配をとおして荘園の里を満喫していただきます。
○農家民泊
農家に泊まり、農作業や田舎暮らしを体験していただきます。田舎のまごころでお迎えしますのでお気軽にご利用ください。
お問い合わせ
荘園の里推進委員会事務局
TEL/FAX 0978-26-2168
豊後高田市田染小崎2132-1
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